長井ゆかりの表現者

菅原玉龍展

文教の杜ながいでは、郷土に縁ある画家や詩人といった表現者を紹介する企画展「長井ゆかりの表現者」を毎年開催しています。今年度は、郷土に根ざして創作活動を行った南画家・菅原玉龍による作品を中心とした展覧会を開催します。長沼家に残された作品や、市民の方から借用した作品を通じて、詩画一致した南画の魅力を辿ります。

 

|菅原玉龍について

菅原玉龍(すがわら・ぎょくりゅう、1862 - 1944)は、文久二年(1862)8月2日に、明治期の日本を代表する南画の大家・菅原白龍(1833 - 98年)の次女として、長井市の時庭で生まれました。父の手ほどきを受け、南画家としての技術や教養を習得。

明治14年(1881)二十歳の時には、絵が習いたい一心から無断で上京し、一時は白龍と懇意にしていた女流南画家・奥原晴湖(1837~1913)の下に住み込んで絵を学びました。その後まもなく連れ帰られ婿を迎えて以降は郷里に根を下ろし、白龍が没して以降に本格的に制作を始め、多くの作品を手がけました。明治23年(1890)浪華学画会展覧会に『黒竹図』で二等褒状を受賞、翌年は東都私立日本青秀画会に『山寺鐘声図』を出品し三等賞を受賞するなど活躍。晩年は長井市大町に居住しました。

 

|玉龍の父・菅原白龍について

菅原白龍(すがわら・はくりゅう、1833 - 1898)は、現在の山形県長井市時庭にある神職の家に生まれました。福島の熊坂適山、長井村の長沼月峰、らに師事し、漢詩や南画を学びました。30歳すぎごろから白龍と号し、明治以降はしばしば上京して奥原晴湖ら文人墨客と交わりました。当時、中国の手本をまねるばかりだった南画会に反発し、独自の表現を模索。日本各地を歴遊し、写生をもとに多くの作品を手がけました。また明治17年東洋絵画会結成に参加し、21年からその機関誌『絵画叢誌』の編集に当たるなど、南画会の発展にも尽力しました。その業績により、現在でも南画において傑出した存在として評価されています。


□ 期 間:2024年4月2日(火曜日)〜5月26日(日曜日)

□開館時間:10:00~17:00(入館は16:30まで)

□休館日:月曜日(祝日の場合は開館し、翌日休館)

□会 場:旧丸大扇屋

□料 金:無料


STATE OF EXHIBITION


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